長城見学

目が覚めた。まだ四時である。それからはもう眠れない。思い切って起き、昨日描いた数枚のクロッキー(鉛筆の速写スケッチ)に色をつけていると、K氏が起きて来て、しばらく私の描くのを見ておられたが、散歩に出ませんかと誘われたので、筆を置いて一緒に外に出た。もう同行の数人がホテルをバックにして、お互いに写真を撮り合っていた。
ホテルの前の広い道路に背の高いポプラの街路樹、が整然と植えられていた。昨日の黄塵と打って変わって風がなく、空気はすがすがしく澄んでいて、気持ちがいい。
職場へ急ぐサラリーマンが自転車に乗って通る。十人や二十人ではない。何百人もである。見ているだけで圧倒される。彼等が乗っている自転車はみんなピカピカに光っている。車輸の骨の一本一本までよく磨かれており、朝の光に輝いて、軽やかに音もなく通り過ぎて行く。
今日は万里の長域の見学である。九時パスで出発した。実に快晴で雲一つない。走ること三、四十分、灰色の大地だけ、人家は一軒もない。道路はまだ舗装されていないが、広くて、真直ぐで、時どき腫馬に車をひかせた農夫に会うだけ。この単調な風景では、董さんも説明のしょうがない。そのとき「兵隊さんがいる」同行の女性が言った。いっせいに外を見た。遠くで四、五十名の歩兵が戦闘訓錬をしていた。それを見て董さんが話し始められた。「中国は過去三百年の問、諸外国の侵略を受けて、人民は塗炭の苦しみを味わってきた。それで座っていては平和は望めないと、身に染みて分かった。だから軍備を持ち、原爆も開発した。全人民は誰一人、これに反対しない」これを聞いて私は、そうだ、その通りだと秘かに思った。紙に書いた戦争放棄の宣言や、イデオロギーだけでは民族は生き残れない。何万言を費して「原爆反対」の理論を展開しても、「座っていては平和は望めない」という、この素朴な言葉を論破することができないだろう。
董さんが、過去三百年の聞に諸外国の侵略を受けたと言われたが、「日本の」と日本を名指しされなかったので内心ほっとした。
阿片戦争は全くイギリスの計画的な侵略であった。
北清事件は義和団の動乱で、合法的に居住していた自国の国民を保護するために英、仏、露、伊、日の各国が共同出兵して鎮圧した。ところがロシアはこの事件を口実に公然と満州(現中国東北部)に居座り、各所に駐兵し、さては朝鮮に魔手を伸ばし、龍岩浦を租借してポー卜・ニコラスと改名して軍港を築き、更に日本の対馬まで狙っていた。
ドイツは青島を略奪した。日中戦争は売られた喧嘩で、五分の理屈はあったはずだ。そのことは後で触れる。
董さんはまた、こんなことも言われた。「昔、中国は乞食と蝿の国だと言われていたが、今は違う、革命四十年を経て、人民の生活は二応安定している。あと十年したら、またお出下さい。もっと、もっと、すばらしい国になっております」と自信をもって話された。
それから更に走ること三、四十分、バスの両側から岩石の山が迫ってきた。バスはその谷聞を走った。葉が落ち、痩せ細った冬枯れのままの木が谷底にはえている。これは枯山水画の風景である。二、三日滞在して、ゆっくりと腰を据えて写生をしてみたかった。
向うの山の麓を煙を吐きながら列車が走っていた。董さんは、あの列車はモスクワまで行く列車ですと説明された。
やがて、岩山が私たちのパスを遮るように立ちはだかった。「長城が見えてきました」現地のガイド氏、が言った。みんな窓に顔を寄せて外を見た。
長城は、白茶けた岩山の稜線を、真黒い巨大な一匹の龍が、峰から峰へ、のたうつように這いづり回っているようだつた。写真で見たり、聞いてきた話以上に大きいのに驚いた。
ガイド氏が「中国には、長城に立たずんば、好漢にあらずという言葉があります」と言った。私は中学の時「鞭を挙げて、長城に立たずんば好漢にあらず」と漢文の先生から習った。つまり、馬を馳せて外敵を駆逐し、長城に立たなければという意味に理解していた。長城そのものが、外敵を防ぐために築かれたものである。それほど有史以前から中国は北方民族の侵略に悩まされていたのである。ガイド氏が話を続けた。「一九七二年の春、アメリカのニクソン大統領が訪中した際、長城を見学しただけで、長城の上に立たなかった。その年の九月、日本の田中角栄総理も訪中されたが、やはり見学をしただけで帰られたという。だから、ニクソンも田中角栄も好漢ではありません」と言った時、みんな笑った。ニクソンはウォーター・ゲート事件で、アメリカ大統領として珍しく任期中に辞任に追い込まれ、田中角栄はロッキード事件で逮捕されたからだ。「みなさんはあの上まで登って、好漢になってください」と言った。立志伝中の快傑田中角栄も、他国で笑い話の種に引張り出されたのでは哀れというほかない。
左に大きくカlブを切ると、そこが観光パスの駐車場になっていた。
二十台くらい駐車していた観光パスの中に日本の観光団が乗ってきたバスもあった。近年、外国旅行をする日本人が急増しつつあるという。ヨーロッパのちょっとした都市にも日本人の観光客が、添乗員に引率されて、ゾロゾロと歩いていたが、北京に来てからも二、三組の日本人観光聞に会い、ホテルのロビーには日本人が多勢いた。それだけ日本人の生活にゆとりができたということである。島国根性を抜け出して、国際感覚を身につけることは大変よいことだ。たとえ一週間でも、十日でも外国の街を歩いてみれば、日本にはないものを必ず発見し、その国の人情に触れることができる。百聞は一見に如かずという。一度外国に行ってみれば、人が書いた旅行記を十冊読むよりも外国の風物がしっかりと頭の中に入る。
下車するとものすごく風が強く、冷たい。顔を刺すように痛い。とたんに四十年前、軍隊当時、北朝鮮で吹かれたあの北風を思い出した。駐車場も舗装されていなかったので、砂や小石までが飛んで来て、目を聞けておれない。
フロントガラスに貼ってある団体名を見ると、ほとんどが日本の旅行団で、中に○○党△△県青年団と書いてあるパスもあった。偉い先生が引率して来たのだろうか。首をすくめ、外套の襟をたてて、突風を避けながら体を斜めにして歩いた。
長城まで、緩い坂道を百メートルくらい登る。右側に、防寒帽や、襟巻を吊した土産物屋が並んでいた。
長城は、薄という黒い煉瓦を十メートルも積み上げてある。アーチ型にくり抜いた下を通り抜けると右側に広場があって、そこに入場券の売場があった。入場券はガイド氏が全員の分を買った。
階段を登る。高いので踊り場が三ヵ所も設けてあり、そこに一息ついてはまた登る。長城の上は六、七メートルの幅で、同じ黒い煉瓦が敷き詰めてあった。非常の際はそこを馬で駆けたのだという。
見渡せば、万重の山が雲の中にまで連らなっている。長城はその峰に添って延びている。長城の上は更に風が強かった。下を覗くと目が回るくらい怖い。二、三百メートルおきに、峰の頂上に城閣がある。その城閣まで行ってみた。好漢になった証拠に董さんと並んで写真を撮った。ここで描かなければと思ってスケッチブックを聞いて二、三枚描いた。描いている真下に白壁の人家が点在し、この寒風の中に芽吹き始めた柳の聞に、赤い桃の花が咲いていた。長城の上から小さな「北京の春」をみつけた。

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