トルファン散見

午後はパスでトルファンへ向う。パスで三時間の行程だという。ウルムチの市街地を外れると、ゆるい登り坂になっていた。道幅は広かったが、まだ舗装はされていなかった。とたんにパスがガタガタとゆれ出した。こんな道を三時間も走るのかと思うと不安になって来たが、これがシルクロードの旅行だと観念した。
日本の五月頃のような爽やかな青空で、明るい。ところどころ水溜りができている。両側のポプラの根元にまだ雪が残っていた。左側遥かなところに雪をかぶった山々が連なっている。天山山脈である。襟を正して拝みたくなるような壮麗な山々である。道々羊の群が枯草を食べていた。コ一十分ばかり走ったところから舗装されていてほっとした。
ポプラ並木の間に茶色の壁の民家が見えた。子供が遊んでいる。この寒いのにみんな裸足だ。軒下に洗濯物が乾してある。道路の片側に二メートルくらいの溝に、清水が泊々と流れていた。天山の雪解け水だという。そうすると天山こそこの地方の人々の命の恩人であるわけだ。バスは山峡を登ったり、下ったり、時には結氷した川に添って走ったりした。時々櫨馬に乗った人に会ったり、追い越したりするが車はない。
集落には清真旅館とか清真食堂という看板がよく白についた。あまり清真、清真とたくさんあるのでガイド氏に聞いてみたら、イスラム系の人が経営する旅館、食堂であるということだった。
大きな荷物を体に括り付けられた瞳馬が葉が落ちたポプラの木に繋がれていた。瞳馬は粗末な餌に甘んじ、黙々と働く温順な動物だ。零下何十度という夜でも外に繋がれたままだ。もし、もう一度この世に生れ出ることがあったとしても、私は腫馬にだけは生れ変わりたくない。
二時間ばかり経つと砂漠の中を走っていた。天山山系の峠を越えたのである。見渡す限り茶褐色の荒野である。大小の石がゴロゴロと転がっている。これでは作物が育たないはずだ。
ガイド氏、が「あと三十分で、トルファンです」と言ったあたりから、またポプラが見えだした。ポプラは背が高いから一番先に目に入る。右前方にトルファンの町が見えた時、ついに来たかとほっとした。
道の両側に整然とどこまでも、どこまでも二メートルくらいの杭が何列にも並んでいた。葡萄畑、だという。それにしても葡萄の木がない。聞いてみると、寒いのでみんな土をかぶせて越冬させているのだという。そういえば、杭の根元にそれらしい土盛がしであった。
砂漠を走り始めてから行き交う人の顔も、衣服も、白茶けている。太陽までが茶色に見える。この風景を見ただけで咽がからからになり、声がかれてしまったようだ。

この地方は海面より百五十メートルも低く、夏は四十度を超す暑さだという。だから昔から中国人はこの地方を火州と言っていた。
煉瓦を積んだ大きい建物が自につくようになった。しかも元禄模様に積んだ煉瓦と煉瓦の聞に小さな隙聞が作ってあった。「この建物の中で乾葡萄をつくるのだ」とガイド氏、が説明した。風通しをよくするための隙間らしい。
脇道に曲がるとすぐ民家の前に止まった。生活用水のカレーズの見学である。カレー、スというのは天山の雪解け水が地下に入り、地下水脈として流れる。その水脈まで二、三メートル掘り下げて、更に水脈に添って人が一人中腰になって歩けるくらいの横穴を縦横に掘って行く。下りてみると澄み切った水が漫々と流れていた。手で掬って飲んでみた。冷たく少し甘いような味がした。天山山脈の雪解けの水だ。私は二、三回味わいながら飲んだ。
街は人通りも多く、リヤカーや馬車を引く櫨馬が行き交っていた。茶色の平屋が連なっている。葉が落ちたままの赤茶けたポプラの楠と、赤や圭一いペンキを塗った窓枠が僅かに色どりを添えている。新築早々の二階建の吐魯番賓館に着いたのは五時近くであった。前庭に葡萄棚があったが、ここで
も葡萄の木は土を掛けられて埋め込まれていた。夕食後ガイドの王さんに私の部屋まで来ていただいた。
「これからの旅行について、お願いがあるんですが、あるいは希望と申し上げた方がよいかも知れませんが」
「なんですか、どうぞ」
「私は十数年前に読んだ旅行記や画集で、黄河の流域に病霊寺というところがあって、そこにはまだ日本にあまり知られていない大同や洛陽の龍門磨崖仏(岩山に直接彫った仏像)よりも歴史的にはもっと古い漢時代からの磨崖仏が六百余体もあることを知りました。当時私は、さかんに石仏を描いて公募展に出品していましたので、是非一度現場で直接見て、生々しい感動を込めて描いてみたいと思っておりました。でも広い中国のその奥地でとても行けるところではないと諦めていましたが、今度の旅行で数日後蘭州へ行きます。柄霊寺は蘭州から僅か百五十キロメートルです。なんとしても見て帰りたいと思いますが、方法はないでしょうか」
「むずかしいですね。蘭州から百キロメートルの所まではタクシーで行けますが、そこからジヤンクで片道三時間、黄河を遡行します」
「私は十二時間の予定を立てて来ました。そのため蘭州で二泊三日の観光予定のうち中一日は棄権します。だが心配なのは、途中タクシーがパンクでもして、みなさんが蘭州を出発される時間までに帰れなく、御迷惑をかけることがあってはということです。もしもそのときは、蘭州の旅行社のご指示でなんとか上海まで汽車でスケッチをしながら行き、上海から船で帰ります。そんなことができたらと思いまして、出発する時家内にも話し、費用も準備して来ました」
「そうですか。問題はジヤンクです。日本の船便のように、時聞が来れば出るのではなく、お客が集まってから出ます」
「お客が何人くらい集まれば出ますか」
「三十名くらいです」
わかりました。私が三十名分の切符を買えば済むことです。愉快じゃないですか。ジヤンクを一般買い切って念願の柄霊寺を参観し、写生ができるなんて夢のようです」王さんは、
「わかりました。蘭州の会社へ連絡をしてみます。本当なら私が案内をすればよいのですが、あの湾岸戦争でヨーロッパ旅行を計画していた学生さんが、どっと中国へ来ましたので、日本語を話すガイドがみんな出払っています。そのため運転手にあなたの希望と計画をよく話して頼みます」
この返事を聞いて私は脈があるな、やっぱり頼んでよかったと思った。私が準備しておいたトルファンの強い酒を注いで差し出すと、ぐっと一息に飲み干し、残った分をお持ち下さいと言ったが、結構ですと言ってすぐ帰られた。礼儀正しい、誠意のある、頼母しいガイドさんだと感心し感謝した。王さんがお帰りになると、私はウルムチ郊外で天山々脈にいた羊を見て描いた葉書版を、寛子に送ってやろうと思って色を塗り「てんざんという、やまの、ふもとに、かわいい、ひつじちゃんがたくさん、おいしそうに、かれくさをたべていました。かぜをひかないようにしてください。さようなら、おじいちゃんより」と書いた。寛子はまだ五歳だが、平仮名は全部読めるようになっていた。

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