リッツ・ホテル

ホテルは三階建で入口は案外狭かった。ドアーの上に風に吹き飛ばされて転がるカンナ屑のような形の文字が書かれてある。みんな珍しそうにその文字を見上げた。でフライ語だという。
二階に上がってロビーに入る。左側にカウンターがあり、絵葉書や煙草を売っていた。私達のトランクはもうそのカウンターの前に並べであった。奥に黒いグランドピアノが置いてあり、大きいよく磨き込まれた一枚ガラスの窓からは、城壁がよく見えた。椅子にかけて城壁にみとれていると、山田氏が回って来て、朝食は八時から隣の食堂で済ませ、食後は各人トランクを持って部屋へ運び、午前中は休養し、午後は二時にロビーに集合してパスで新市街の観光に出る予定ですと伝えた。
食堂は鍵の手に造られ、赤い床張りで四人用、団体用の食卓が並べられであった。外国人の団体客や老夫婦が四十名くらいいて、私達のグループが入ると、ほぼ満席になった。両隣の卓に外人が座っているのを見ると外国へ来たという実感が湧いてくる。ウェイトレスでなく、痩せ型のボーイは背が高く、色、が黒く、ギョロッとした目の男で鼻髭を生やし、ちょっとエジプトのナセル大統領に似ているアラビア人だった。彼は馴れた手つきで事務的にコーヒーを注いで回った。パンは黒くあまり美味とは思わなかった。
朝食を済ませるとロビーで十アメリカドルをイスラエルの札とコインに両替し、トランクを持って割り当てられた二四八号室へ行った。
部屋は十五畳くらいで中庭に面し、右側の奥にベッドが二つ並べてあり、ベッドとベッドの聞に大きな電気スタンドが立っていた。窓辺に応接セットがあり、左奥に三面鏡と洋服ダンスがあったが、洋服ダンスは使わなかった。洋服ダンスとベッドの聞にドアーがあり、開けてみると浴槽と洋式の便器があった。便器を見ながら入浴するのはどうも感じがよくないし、洋式便器も使ったことがないので、これは困ったことになったぞと思ったが、外国に来たからには仕方がない。便器は洋式だよというと、恒子も使い方がわからないと言いながら覗きにきた。
スケッチブックを持って早速、街へ出て見た。ホテルの向い側の四階の建物はどうも銀行らしい。土産物屋を覗きながら歩いてみた。木彫りの路駐が飾ってある。私はまだ酪院を見たことがないが、この木彫りの酪駐を見て砂漠の中の街へ来たのだという現実感がまた湧いた。一本の木に五、六頭の酪院が一列に歩いているのもある。砂漠を行くキャラバン(隊商)であろう。二十センチくらいの銀メッキをした万があった。柄に赤いガラス玉を入れ、鞘の先がくるっと丸くなっている。アラビアの王様、が膜に下げているあの万の模造品である。抜いてみるとピカピカと光っている。ペーパーナイフであった。いくらかと聞くと紙に数字を書いて見せた。日本円で千五百円くらいである。それにちょっと重い。この旅行で持ち出せた円は一人五万円に制限されており、これからどのくらい欲しい物があるかわからないし、飛行機に乗せるトランクの重量は二十キロまでだったので、買うのはあきらめた。
衣料品店には黄色や青の原色の生地に赤い花模様をあしらった婦人服が吊されてあり、襟が長い。これもアラビア系の民族衣装らしい。
果物屋があった。落花生、リンゴ、オレンジぐらいで、どれも萎びて鮮度は極めて悪い。日本ならまず商品にならない代物である。それに店の中は挨っぽくて、悪いけれど第一印象はまず不潔というほかなかった。棚の隅に小さいボール箱にまだ熟し切っていない黄色い耳があった。恒子が食べたいというのでいくらかと聞いたら、日本円で三百五十円くらいで高いと思ったが買った。
商事会社のような建物の前のちょっとした広場に、黄色や白いネッカチーフのような物を頭からかぶって後ろへ垂らし、薄汚れた服を着た老人が十五、六人、木のベンチに腰を掛けたり、石畳の地面に直接腰を下ろして水煙草を吸っていた。これは絵になる。珍しい風景なのでカメラを出したが、写してからこの連中に因縁をつけられてはと思ってシャッターを切るのはやめた。
路地の角に週刊誌や書籍や新聞を売っている露店が出ていた。羽田で、回る国々の新聞を一部ずつ買って来てくれと越也から頼まれていたのを恒子が思い出して買ったらと言うので、一部買った。四十五セントだった。例の風に吹き飛ばされたカンナ屑のようなフワフワした字が印刷されてあった。紙の質はざらざらして悪かった。新聞を買うと恒子は、蔑を食べると言ってホテルへ帰った。僕はそれから街のあっち、こっちをスケッチしたが、思うように手、が動かずなかなか鉛筆がなめらかに走らない。こんなことではこれから先スケッチができるかどうか心配になって来た。
スケッチをしていると、照りつける日差しで項が熱くなってきた。ネッカチーフのようなものをかぶって肩まで垂らしている彼等の服装は、気候に順応するための生活の知恵であったことがわかった。
道路も建物もギラギラと光り、日本の六月中、下旬の気候である。ホテルに帰ると、恒子がもうブルーと黄色の波模様のある夏のワンピースに着替えて甚を食べていた。

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