北京着

新装なった成田空港を飛び立って来た私たちには、北京空港は余りにも小さく、古くさく見えた。
しかし待合室に入ると、お茶の接待にあづかった。勿論中国茶であるが、疲れており、外国に来て緊張もしていたので一杯のお茶に安らぎを覚え、とたんに中国に親しみさえ湧いてきた。たった一杯のお茶であったが、不思議なものだ。
飛行機の中で、いろいろと世話をしてくれたスチュワーデスがもう洋服に着替えて出て来た。機内でパキスタンの民族衣装を着ていたときは、締麗な人だと思っていた日本人の彼女が、化粧を落し洋服を着ると、東京や横浜にいる普通のO・Lと変わらない。女は化物とはよ言ったものだ。
関税を通ってロビーに出ると、中国側のガイドさんが待っていてくれた。歳の頃五十五、六、背の低い小肥りの、浅黒い顔をした男だった。
彼は、「董です」と自己紹介をしてから、更に、董は草冠に重いと書きます。日本にある骨董屋のの董ですと、仲々流暢な日本語で付け加えて説明した。レlニン帽をやや阿浦陀にかぶり、薄緑色のスプリングコートを着て、バンドは後に結んでいた。
ホテルの送迎パスに乗ると、董さんは「私は北京から洛陽、西安と、最後の上海までみなさんのお供をします。また、各都市には各都市に詳しいガイドが一人付く予定です、と言ってから北京の概略を説明された。「北京の広さは何万平方キロメートルと言っても、ピンとこないと思いますが、まあ、お国の四国くらいの広さと思われればよいでしょう」と言われたときは、みんな「へエー」と驚いた。
一応の説明が終わると「私は筑波万博の期間中、中国館の説明役をしていました」と言われた時、また驚いてみんな拍手をした。この一言で、すっかり旧知に会ったような気分になったのである。
空港から中心街までの道路は、いたるところ拡幅工事で掘り返されており、バスはその聞を縫うようにして走った。
空はどんよりと曇っていた。三十メートル先を走っている車、が、ボヤ|と影のようにしか見えない。これは砂漠地帯の黄塵が、季節的に西北から吹く風に乗って飛んでくるためだとあとでわかった。この黄塵で黄河の水が黄色に濁り、海までも黄海と言われるように黄色に染まるのである。この風が吹くと、どんなに窓を閉めておいても入ってきて、廊下や机が砂でザラザラするのだという。
街路樹のポプラの聞から、人家がポツポツと見え始めた時、董さんが「北京での二泊は、北京の中華街から約一時間くらい郊外にある北京友誼飯店に決まっております。このホテルは十五、六年前に建てられたものですが、決して悪いホテルではありません。都心のホテルは、外交使節や、各国の商社マンが泊るので、一般の観光客にまで手が回らない状況です。どうぞ御諒解願います」と正直にしかも率直に話されたことに、むしろ好感がもて、現在の中国の一面に触れた思いがした。
ようやく芽吹き始めた木々の聞から高層ビルが見えた時、董さんが「あれです、あれが友誼飯店です」と指を差して説明された。青い瓦に、軒の飾りに赤と黄の唐草模様が付いた七階建ての立派なホテルだった。
玄関を入って、広い階段を五、六段登ったところがロビーで、赤い繊越が敷き詰められ、正面に大きな山水画の額が掲げであった。
ロビーの左側に、金網を張った小さい部屋が両替所だった。五、六人並んでいた。外人が計算が違うのか、大きい声で抗議をしており、なかなか治まりそうもない。私たちはイライラしながら待った。
二室に二人ということで、私は静岡から参加された同年輩のK氏と合部屋になった。
大きい食堂がロビーの裏にあり、夕食後早速、孫に電話を掛けた。
「ヤッ君、ヤッ君、おじいちゃんだよ、おじいちゃんだよ」というと「アー、アー、アー」と返事をした。まだ生後一年四ヵ月だ。「ヤッ君、バイパイ、パイパイ」というとまた「アー、アー」と返事をした。ヤッ君がうれしそうに受話機を耳に当てて、笑っている顔が目に見え、ヤッ君のいう意味がみんな理解できた。おじいちゃんばかがと言われるかもしれない。
お土産は何がいいかな。男の子だ、やっぱり中国土産と言えば端渓の硯がいいだろう。寛子は何がいいか。藷翠のペンダントか。まだ生後五ヵ月だが、おじいちゃんの形見になる土産だ。思い切り良いものを買って帰ろう。

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